| 石鹸おばさんのトキドキ日記 |
| 2003年9月25日(木) 覚書 |
| 書こうか、書くまいか、かなり考え、躊躇しながら、、、 それでも、、このことを文章で残そうという考えに至り書き始めます。 私の主人が亡くなりました。 2003年9月10日でした。。。 9月8日の朝6時30分私を静かな声で起こしました。 右足がおかしいこと、フラフラするとの訴えに、私はすぐに「脳に異変が起きた」と直感し、救急車を呼びました。 救急病院は脳の専門ではなかったので、今は亡き父のお世話になった脳外科に運んでもらったのです。 MRIの検査では原因はわからず、2回目の検査でも「これかなぁ?」という感じで、、 高濃度の酸素カプセルに入る治療を受けました。 院長の見解では「かなり軽い脳梗塞」という診断でした。 酸素カプセルの治療は彼にはあったのか、気分がよくなったというので、一安心したのを覚えています。 2日目はもう一度MRIの検査で始まりました。 脳がつながっている細い管のところに「脳梗塞」を起こしているとのこと、、、 やっと原因の箇所がわかりました。 先生よりのお話があり、、 最悪の状態を想定して万全の体制をとるとのこと、7日〜10日は良くはならずかなり悪くなるけれど、それからはリハビリで社会復帰が出来るとのこと。 私は考えたあげくに彼に全部の話をすることにしました。 私はこう付け加えました。 「あなたは強い人だから、7日や10日辛くてもがんばれるよ、こうなった以上逃げられないんだから、二人でこの病気と闘おう」 彼は私に涙声で「うん、ありがとう・・・」と言いました。 彼は本当は、ビビリで、怖がりなのは知っていました。 仕事の鬼で、家庭を顧みない人でした、、、 ましてや男尊女卑の田舎の家庭で育ったので、嫁さんに「ありがとう」などと言う人ではなかったのです。 私は、二人の息子と彼の兄弟に電話しました。 彼の希望は、病名を話すのはいいけれど、お見舞いは来ないでほしい、少しよくなったら知らせると。。。。私はその言葉に従いました。 「ええ格好しぃ」の人なので、点滴や鼻に通したチューブを誰にも見せたくはなかったのだと思っています。 下の息子はもうかなり勤務地から帰ってなかったので、心配になって松山から帰って来ました。 上の息子は日曜の夕方に話をして勤務地に帰り次の日だったので、週末に帰ることになりました。 3日目、、9月10日 この日もMRI検査ではじまりました。 どうしたことか、彼はとても気分が良いとのこと、、、 院長の懸念していた最悪の症状もひとつも出ないまま酸素カプセルに入りました。 1時間30分後出てきた彼は、右目だけをうっすらと開けて、私の心配そうな顔を見て「ニヤリ」と笑いました。 「どーだった?」と、私。 「退屈で、退屈で、ラジオでも入れて聞かせてくれ」とのこと、、、 外来の婦長さんが私を陰に引き寄せて言いました。 「このまま悪くならないで、よくなるかも知れないね、、元気そうやね」 「そうなってほしい、、いつ悪くなるかヒヤヒヤする・・」と、私。 この日は飲み込みが困難になっているので、流動食を胃に直接流し込み栄養を補給。 流動食を操作する看護士さんに彼は、、、 「ねぇちゃん、その中に氷水入れてくれやー、、氷水が飲みたい」 「飲み屋じゃぁあるまいし、、、」と、私。 3日めは機嫌がよくて、今まで気分が悪いと言っていたのが嘘のようで・・・ 会社の事が気にかかると、税理士さんと、メインバンクの人に来てもらう。 11時二人が病室に入り話をする。 始終ニコニコと二人に話し、最後に税理士さんに「頼む!」と一言。 私は二人に頭を下げ、 「少し遅い夏休みをこの人に取らせてください、絶対に社会復帰をします、させます!」 二人が帰った後、彼は疲れたのかベットを自分で倒し「寝る」と一言。 私は病院で用意するようにと言われていたものを買いにでかけた。 彼の病室はICUで、それも空き部屋がなかったのでとりあえず、、という形で入ったので、、 病室には椅子もなく、私は部屋の外の椅子で待機し、10分〜30分置きに部屋に入り、タオルを変えたり、顔を拭いたり、、 背中や腕をさすってあげよう、と、言っても「なんともないから、いい」とのこと。 夕方6時30分会社の専務が来る。 会社の話をしようとしていると、病院に急患が入る。 相部屋へ移動、、ここならベッドの横に椅子があるので「泊まってあげよう」と、私。 「もういいから、帰れ、帰れ」と、彼。 彼の入院前から更年期障害に苦しんでいたのを少しは気にかけてくれていたのだ・・・ それにその日はずっと寝不足のせいか朝からのひどい頭痛だった。 彼の再三の「帰れ、帰れ」に私も「一度帰って洗濯をして、それからもう一度来ればいいか」と。。。。。。。 専務に洗濯物や他の荷物を持ってもらって「じゃぁねー、、明日の朝の枕を変えるときに氷をひとかけら口に入れてあげるねー朝は早くに来るからねー」 7時10分 車の所で専務と少し話し、家に、途中スーパーによって明日病院の洗濯機で洗濯をするために洗剤を買う。 家に帰ると電話が立て続けに2本、、、一日中家にいないので心配してくれる人や、私の弟夫婦や。。。。 町内の集金、、、 洗濯物を干して、次を入れて、、、やれやれと、電話の前に座ったと同時に電話が鳴る。妙な胸騒ぎ・・・・・ 8時40分 案の定、病院から「すぐにきてください」 身体がガタガタと震える、エンジンをかけながら祈る「なんともありませんように」 信号にかかる。。。 自分の手に血の気がないことに気づく。 家から病院まで、約10分 病室に駆け込む。 ベットがない。 ナースセンターに入る。 院長がいる。 私に何か言おうとしている。 その前にベッドがある。 人工呼吸器をつけて、男性の看護士さんが心臓マッサージをしている。 目の前の光景が理解できない。 院長が私に説明をしている。 意味が理解できない。 突然心臓が止まったということだけがわかる。 私が来たのと同時に心臓が動き始めたというのを聞いて我にかえる。 携帯電話を握り締めてふらふらと廊下に出る。 勤めて冷静な声で二人の息子に電話する。 下の息子は1時間 上の息子は2時間強で着くはず。 彼の兄弟、私の兄弟、会社の専務と電話したところで、婦長さんが呼びに来る。 心臓がまた止まったらしい。 心臓マッサージを受けている彼の足元で、涙も出ない。 足を握る。 冷たい。 次々にみんなが着始める。 彼の兄嫁が私に泣きながら詰め寄る。 私が見舞いに来ないで、と言ったのを責める。 院長が見かねて止める。 本当に辛くて、悲しい時は涙もでない・・・・ 下の息子が松山から着いた。 「がんばって!もう一回息して!このまま死なんとって!」 涙があふれ始める・・・・ 個室に移される。 心臓マッサージが続く。 下の息子が自分で心臓マッサージをやる!という。 とめる。 1時間40分マッサージを続けるがもう一度動く気配がない。 私は院長に聞いた。 「この人、苦しいんですか?痛いんですか?」 「ほんの数秒の間に心臓が止まったと思われるので、ちっとも苦しんではないですよ」 看護士さんに言った。 「ありがとう、もういいよ、止めてもう寝かせてやって・・」 皆が病室を出た。 上の息子が入ってきた。。。 「間に合わんかったんか・・・」 「誰も間に合わんかったんよ」と、私。 二人の息子が彼にすがりつく。。。。 28歳と、25歳の大きな息子が大声で泣きながらすがりつく。 私は彼の足をこぶしでたたきながら言った。 「何でもかんでも、自分ひとりで決めて、自分の好きなようにして、勝手なことばっかりして!こうやって死ぬときも自分勝手に死んでいくんで!あんたは本当に勝手な人なんやけん!」 私の弟が私を止めた。。 |
| 2003年9月26日(金) 続・覚書 |
| 家のリビングの彼のお気に入りの場所に祭壇がある。 大好きだったビール、お饅頭、ナッツ、果物に囲まれて「好きなだけ食べよー」 写真の中の彼はものすごーーーぉぉく嬉しそうに笑っている。。。。 私や子供には見せたことのない笑顔・・・・ 天国でもこんな顔してるの?酒はうまいし、ねぇちゃんは綺麗? 祭壇の前に座って思わず声に出して話し掛けてしまう・・・・ 「あんた、なんも言わないで行っちゃったね、、私も息子達も大変だよ、、専務も髪の毛抜けそうだよ・・・私達いったい、、何だったんだろーねー」 何も返事は返ってこない・・・・ お葬式は会場の係りの人が驚くほどに大勢の人で、、一番大きな会場があふれかえるほどだった。。。 棺桶にすがって「社長〜〜〜ぉぉお」と泣いてくれる人もいる。 長男が喪主を勤めた。 「かぁやんが喪主をすると、色んな事言われるけん、僕が受けて立つ」 と、、、、 主人の本家は田舎なので色々の風習がある、お寺のこと、親戚のこと、そのまた順位のこと・・・ 一番前の席で親子3人が並び、式がはじまり、そして棺おけに花を入れる、、、 会場の両端にいっぱいの花のスタンド、、 係りの人にうながされて花を入れる・・・・・ 会場の全員が花を入れる・・・・ あふれんばかりの花に囲まれて、うっすらとまるで微笑むような寝顔・・・・ 「お別れやねぇー・・・天国に行きよ。。。」 心の中でつぶやく・・・・ 最後に係りの人が私を手招きする。。。 係りのおじさんの手に、家の庭の西表あさがおと、ナツメの枝、レモンの実がある・・・・ 彼の冷たいほほを手で押さえ「良かったねぇー家の花や実を持って行き・・」と、私。 また新しい涙があふれる。。。 息子達は子供のようにしゃくりあげる・・・・ 自然に3人で手をつなぐ・・・ 2人の手を私が握ると2人が握り返す・・・ 涙がとめどなく流れる・・・ 「さよなら・・30年やったね、、色んなことがあったね、、でもこの子達が立派に育ったことを感謝するよ、、、さよなら・・」 心の中でつぶやいた・・・ |
| 2003年9月27日(土) 続・続・覚書 |
| 私の慣れない生活がはじまった・・・ 望むと、望まないに関わらず、会社の営業がはじまった。 法人の会社を一人で起こしてきた彼の、命をかけた会社を私が継ぐことになった。 息子達は2人とも公務員なので継ぐことができない。。 朝の7時過ぎには会社に行き、夜の7時〜8時に帰る、、 帰れば暗闇の中に祭壇がある、、、 「ごめんねー、、今帰ったよ、私は会社に行っても何も出来んねー、今までのつけが回ってきたみたいだよ・・・」 お線香をあげながら見上げれば、ごきげんの彼の笑顔の写真・・・・ はじめの10日間は彼の名前の会社を私の名前に変える手続きが延々と続く・・ 銀行の兄ちゃんがひっきりなしに来る。 その間に謄本や証明をもらいに出かける。 それをやってるときにも会社の取引先からの電話、電話、電話・・・・ 毎日ヘロヘロになって帰る。 問題は山積みで、ひとつ解決すれば、またひとつ・・その繰り返し・・・ いつかは終わるのだろうか? 会社を終わらせるのも、続けるのも、簡単ではない。。。。 続けるのを決断した以上はやらなければ・・・ 息子達は休みを取れるだけいっぱい、いっぱいに帰ってくれる。 会社と私を心配してくれてるのだ・・・ 息子達は彼を焼いた後、骨を入れる壺を2個もらって、最後のひとかけらまで拾ったそうだ。。 今治では主要なところだけ拾って、後は捨てられるから嫌だったらしい・・・ 息子達が今の私の財産・・・ |
| 2003年9月28日(日) 続・続・続・覚書 |
| 毎日の会社通いのなかで、新しい試みをはじめる。 まず、メカ音痴だった彼の嫌いなパソコンを導入。 伝票も、送り状もプリンターで打ち出す仕度。 机の配置も変え、事務所の隅の流し台も磨きあげる。 今まで彼が捨てられなかった物を選別しながら捨てる。 大きなベンチ式のソファーを小さなものに変える。 下の息子の彼女が事務所に入ってくれることになる。 タッチタイピングの四国チャンピョンだ・・・ 上の息子がパソコンを立ち上げ、ソフトをインストールし、私の弟が必要なデータを入れてくれる事になる。 息子達も相変わらず、文句も言わないで色々手伝ってくれる。。。 私は色々な人間に支えられている。。。 その間にも問題はおき続ける。 支払いがあり、請求をし、、、 彼の実の兄の保障のある大きな金額のお金の保証人の書き換えを告げられる。 彼の実兄が手のひらを返した。 たくさんの商品を買っている、彼の友人?という人が少ししか支払ってくれない。 「社長と、それでいいと約束した」とのこと。。。。 その他大きなことやら、小さなことまで・・・・ 彼に似ている上の息子が時々「切れる」 弟似の温和な下の息子が私を慰め、兄をいさめる・・・ 「兄ちゃん、あんただけがしいどい、辛いんやないんで(ないよ)ママも、僕もしんどいし、つらいんよ、皆で力を合わせて会社を回すって、決めたんやないんでー?」 二人が会社や私を心配して言ってるのはわかってるよ・・・ありがとうねー 私は知らない世界に足を踏み出したばかり・・・ 彼は私達を見てどう思っているでしょう・・・・ |
| 2003年9月28日(日) 覚書4 |
| 今朝は彼の好きだったシフォンケーキを焼いた。。。 大きなお皿にシフォンケーキを乗せて前に置き「好きなだけ食べー」 糖尿病で甘いものも遠慮しながら食べてたっけね・・・・ 全部食べていいよ、、天国は病気はないものね・・・ |